親鸞

現在は浄土真宗のお寺としてある上宮寺ですが、はじめからそうではありませんでした。

聖徳太子の創建当初は、まだ大陸からお念仏の教えははっきりと伝わってきていませんでした。そのため上宮寺では、奈良仏教と呼ばれる三論とか法相の教えを弘めていたようです。後には比叡山で修行した者が住職として入り天台宗を弘めていたようです。そのような上宮寺に大きな転換をもたらしたのが、親鸞聖人でした。

_IGP2607親鸞聖人は60歳過ぎに布教の地であった関東をあとにし、故郷の京都へ帰る旅をされます。この三河の地はそのような帰洛の宿となる地であったため、聖人はしばらく逗留してお念仏の教えを三河の人々に伝えてそうです。

当時の上宮寺は、蓮行(れんぎょう)という比叡山で修行した住職でしたが、たまたま近在に逗留していた聖人と出遇い浄土真宗に帰すことになりました。そこから上宮寺はお念仏のお寺として、新たに出発しています。

また上宮寺に伝わる『三河念仏相承日記(みかわねんぶつそうじょうにっき)』という古文書には、聖人の弟子たちがこの地で念仏の教えを弘めていった記録が残されています。

そのような上宮寺では、浄土真宗の始まりである親鸞聖人に由来する法宝物を大切に伝持し、「念仏よ弘めれ」とした志を現在に伝えています。