聖人の臨終

親鸞聖人は晩年、何度か都の中を移り住んでいたようで、最後は実の弟のお寺に間借りし、執筆活動や訪ねてくる人々の相談にのっていたようです。

門弟たちも御聖教(おしようぎょう)の御礼などにお布施を送り、聖人の生活を支えていたようです。ですから聖人は、そのような仕送りを「念仏の志(こころざし)のもの」と大事に受けとられていました。

当時の平均寿命はおそらく50歳ぐらいです。その中で聖人は90歳の長命をされました。最晩年までしっかりしていたようで、最後の手紙と考えられるものが、亡くなる半月ほど前に関東へ送られています。それでも身の回りの世話として、末娘の覚信尼(かくしんに)がついていたようで、弟子たちも頻繁に顔を出し、その様子を見ていたようです。

 

聖人の臨終は弘長(こうちょう)2年(1262)の11月28日でした。11月の半ば頃から体調をくずし、床に伏せるようになったようです。そしてもう口には世間の話を出されなくなり、専らお念仏を称え、如来さまやお浄土の恩徳を述べておられたそうです。そして下旬の28日のお昼過ぎに、ついに息をひきとられました。

 

『御伝鈔(ごでんしよう)』という聖人の伝記物には、「頭北面西右脇(ずほくめんさいうきょう)に伏し給いて、ついに念仏の息たえましましおわりぬ」と、その臨終の様子を伝えています。

「頭北面西右脇」とは、頭を北にし、顔を西に向け、右脇を下にした格好です。いわゆる「北枕」といわれる格好ですが、実はお釈迦さまが亡くなられた時のお姿なのです。ですから「如来涅槃の儀」と呼ばれる、仏教徒にとって大切な死に姿です。聖人の先生、法然上人もこの姿で臨終を迎えられたそうです。
そのような姿で聖人の90年間の生涯は終わったのでした。またその死にざまは単に息が切れたのではなく、「念仏の息」が絶えたことであったと伝えられています。その表現一つで、親鸞聖人の人生が見事に語られていると思えます。

聖人が亡くなられてからすでに750年以上が経ちましたが、京都の東本願寺では、この11月28日のご命日に合わせ、絶えることなく毎年報恩講が勤められています。