「北海道」の地名問題

本日8月1日の、朝日新聞「天声人語」に「北海道の名付け親」(デジタル誌面)と題したコラムが記されていました。

https://digital.asahi.com/articles/DA3S13615527.html?ref=pcviewer

現在の地名である「北海道」が、いつ誰によって名づけられたのを紹介するコラムでした。それによると明治初めに開拓判官であった松浦武四郎が推した「北のアイヌの地」を意味する「北加伊道」案から決められたとあり、今年はその松浦武四郎の生誕200年であることで結ばれていました。

しかし「北海道」と名づけた意味を紹介したいとするなら、「北」はともかく、「カイ(加伊)」や「道」はどういう意味なのかがきちんと説明されてなく、途中から松浦武四郎の小評伝になってしまい中途半端な内容だと感じました。

以前に勉強した近代のアイヌ民族および北海道開拓の授業ノートや、松浦武四郎記念館のホームページを見ましたら、「カイ」はアイヌの言葉「カイノー」が由来で「人間」を意味しており、武四郎もアイヌ自らがその地を「カイ」と呼ぶことを理由としたそうです

ただ「道」の方は、古来からの「五畿七道」観から名づけられたようで、こちらは明らかに天皇が住む都を中心とする地域区分を意味しており、アイヌ民族の地を、これより新たな日本の行政地として支配・管轄する意味が込められています。

実際に明治政府は新たな北海道の地を「無主の地」とし、古来より住んでいるアイヌの居住地も一方的に官有地として接収して、開拓と称して移住者に払い下げていきました。これらの歴史を見ていけば、「北海道」を「北のアイヌの地」と簡単に言えないことは明白です。

この近代の北海道開拓とアイヌとの問題には、私たちの大谷派も深く関わっているのです。それらのことは『アイヌ民族差別と大谷派教団 共なる世界を願って』(東本願寺出版部、2008)という学習資料集でまとめられています。