上宮寺の歴史

聖徳太子と真宗興隆

推古天皇6年(598)、聖徳太子は仏法興隆のために全国を巡行されました。そのおりに一本の霊樹を見つけ、その霊樹にて自らの像を作って一宇を築いて仏法弘通の地とされました。聖徳太子は次なる地へと去られましたが、残された太子像が見守る地として上宮寺の歴史が始まりました。

聖徳太子十六歳孝養像

聖徳太子十六歳孝養像

聖徳太子の願いによって開山された上宮寺は、当初は太子信仰の中で、三論宗(さんろんしゅう)や法相宗(ほうそうしゅう)、また後には天台宗(てんだいしゅう)を弘めていましたが、貞永元年(1232)、23代蓮行阿闍梨(れんぎょうあじゃり)が親鸞聖人と出遇うことによって浄土真宗に帰すことになりました。続いて聖人の直弟子佐々木三郎盛綱(ささきさぶろうもりつな)が24代を継ぎ、現代までこの地は「佐々木」と呼ばれています。

また上宮寺には三河真宗の始まりを記した『三河念仏相承日記(みかわねんぶつそうじょうにっき)』が伝えられてもいます。そこには高田(たかだ)の真仏(しんぶつ)・顕智(けんち)上人がこの地にて親鸞聖人からの専修念仏(せんじゅねんぶつ)を弘めていった歴史的経過が示されており、先人達の念仏相続の志が記録されています。

蓮如上人と如光上人

蓮如・如光二尊連坐像(応仁2年(1468))

蓮如・如光二尊連坐像(応仁2年(1468))

応永24年(1417)、西端油ヶ淵(にしばたあぶらがふち)(現碧南市西端)より龍の化児が出現し、30代如光上人(にょこうしょうにん)となりました。如光上人は本願寺八代の蓮如上人(れんにょしょうにん)と師弟の契りを結び、寛正2年(1461)、三河に初めての蓮如上人の「十字名号」が上宮寺に下付されました。

寛正6年(1465)には、大谷本願寺が比叡山より弾圧され、御影堂は破却、蓮如上人たちは京都から追い出され、あまつさえ親鸞聖人の御真影まで奪われるという大事件がおきました。その危機に如光は単身比叡山に乗り込み、学僧達と問答をし、また竹をしごいて襷(たすき)にし、荒法師達との相撲で勇力を見せつけ、みごと御真影を取り戻したと伝わっています。別の記録では、三河より足に踏ませるほどの賽銭を取り寄せ、比叡山と和解して蓮如上人の危機を救ったとも言われています。蓮如上人はこの働きに報いて、御真影の裏に「三河如光ノ寄進」と記し、また上宮寺に蓮如上人と如光上人の「二尊連坐像(にそんれんざぞう)」を贈りました。蓮如上人は門弟との連坐像を如光上人以外には描かれることはなく、蓮如上人と如光上人の深い信頼が知られてきます。

一向一揆から近世へ

上宮寺絵伝(第五幅 長島転戦)

上宮寺絵伝(第五幅 長島転戦)

一向一揆(いっこういっき)から近世の時代は、三河真宗にとって激動の時代でした。永禄5年(1562)、松平家康(徳川家康)の家臣が上宮寺に押し入り、強引に兵糧を徴収しました。当時家康は今川家からの独立を目指し、人質生活から三河の地に戻ってきたばかりで、力をつけるために土着の勢力を傘下に収めようとしていました。しかしこれを狼藉と受けとった三河諸寺は憤慨し、家康側に組みしない勢力と結び三河一向一揆が始まりました。一揆は一年半に及びましたが、最後は疲弊した寺方が敗れ、寺院は破却、坊主衆は国外へ追放となり、三河には本願寺系の寺・道場が失われることになりました。

当時の住職であった34代と勝祐(しょうゆう)とその息子信祐(しんゆう)は、三河退去後に長島の一向一揆へ転戦しましたが、長島も織田信長により平定され、敗れた勝祐・信祐親子は切腹して果てました。この二人の壮絶な最期に報いるため、本願寺は孫となる尊祐(そんゆう)を得度させて上宮寺の後継者とさせました。

天正13年(1585)、徳川家康の乳母妙春尼(みょうしゅんに)の尽力によってようやく寺院の復興が許され、そこから上宮寺は近世の新しい時代に向け再編していきます。上宮寺にはこの激動の時代を語る貴重な文書類が数多く残されており、当時の様子を今に語っています。

佐々木月樵

佐々木月樵(1875~1926)

佐々木月樵(1875~1926)

近代の幕開け明治は、西洋からの科学・思想等が怒涛の如く流れ込んだ時代でした。仏教界は廃仏毀釈とあいまって大変に疲弊していました。48代佐々木月樵(ささきげっしょう)は、この困難な時代に生き、浄土真宗を「真をこれ主義とする所の仏教である」と改めて選びとった念仏者です。

月樵は清沢満之(きよざわまんし)を師と仰ぎ、暁烏敏(あけがらすはや)・多田鼎(ただかなえ)と共に浩々洞(こうこうどう)を創立し、近代仏教を願った真宗大学―後の大谷大学の発展に参加し、後年清沢満之の志を継いで大谷大学第三代学長として真実をいのちとする人間の育成に努めました。

月樵は、親鸞聖人の教えを真っ直ぐに学ぶと同時に、自らの主題を「一乗教の研究」とし、新しい時代に相応しい近代仏教学の礎を築き上げようとしました。また大谷句佛(おおたにくぶつ)・中村不折(なかむらふせつ)・曽我量深(そがりょうじん)・鈴木大拙(すずきだいせつ)ら多くの友や門徒達と交流を結び苦楽を共にし、時代に対して生きてはたらく仏教の生命力を示すことを信念としました。上宮寺に伝わる月樵の業績を伝える遺品や交流の品々が、新しい時代を開こうとした念仏者達の志願を現代に伝えています。IMG_0001

  • 寺伝の解説(ご縁起)・宝物殿拝観は事前の申込みをお願いします。
  • 御朱印をご希望の方は、お申し出ください。1枚300円です。
上宮寺の法宝物及び歴史・人物に関しては、図録『よみがえる上宮寺の法宝物』にまとめています。ご連絡下さればお送りいたします。

『よみがえる上宮寺の法宝物』

『よみがえる上宮寺の法宝物』

全174頁 写真点数290点 製作自照社出版 3,000円(送料1冊300円)