夫婦同姓裁判と「非僧非俗」または「真宗」との問題

「ああ、そういう問題だったのだ」とあることに今朝うなずいた。

日本の結婚制度が夫婦同姓でなけれ認めないということに関して、夫婦別姓を願う事実婚の人々が、その法律はおかしい、違憲であると訴訟をおこしていた。その最高裁の判断が6月23日に出て、現在の夫婦同姓である結婚制度は憲法違反ではないとなった。それに関する「記者解説」が今朝7月19日の朝日新聞に載っていたので読んでいた。https://www.asahi.com/articles/DA3S14978991.html?iref=mor_articlelink02

「記者解説」では最高裁の判断が合憲11と違憲4で割れたことをとりあげ、その判断には結婚に関する価値観が明確に違うと解説している。

「記者解説」によれば、合憲の裁判官は結婚を「国家のサービス」(他の記事では「国家の用意したシステム」)と捉え、現在のサービスが意に沿わないなら日本での結婚を選ばなければいいと言っているようだと見ている。

それに対して違憲の裁判官は、結婚は法制度の問題ではなく、人間の自然的な営みであることを立場にし、夫婦同姓のみを結婚と認める現在の制度は間違っていると述べていると解説している。

つまり夫婦同姓を合憲とした根拠は、結婚は国家が定めたシステム・サービスであるとし、対する違憲は、結婚は人が自他の幸福のために選ぶ自然の権利と見ているということである。全く対照的な立場であることが「記者解説」では説明されていた。

これを読みながら私は、親鸞聖人が若き頃に経験した国家による宗教弾圧、いわゆる承元の法難(しょうげんのほうなん)を想起していた。

承元の法難とは、法然上人を中心とした念仏の集まりが、国家権力により弾圧され、逮捕・断罪された大事件である。これによって法然上人も親鸞聖人も罪人とされて僧侶の身分を剥奪され追放されている。

当時は僧侶といっても仏教といっても、それは国家が管理するものであり、天皇という公(おおやけ)のもとに許可された存在とされた。そのため法然上人たちが声をあげた浄土宗は国家の認めていない私的なものとして訴えられたし、親鸞聖人たちが誇りとした仏弟子という立場も、問題とみなされれば国家が取り上げることができた。

それに対して、親鸞聖人は法難後に、それならば私はもはや「僧に非ず俗に非ず」と、国家が許可する僧とか俗とかの枠には不参加しますと宣言している。また国家が認めなかった浄土宗を「真宗」と称して、ここにこそ真の仏教があると公言している。

ここでも弾圧した側と親鸞聖人との立場は対照的に違う。弾圧した側は国家や天皇を公(おおやけ)としているが、親鸞聖人はそれらを超えたほんとうの公を別に見ている。それは真宗の言葉でいえば如来の本願となるのだが、単純にいえば、いつのどこのだれもがうなづける真実性を公性として発見しているのだ。

親鸞聖人が「非僧非俗」と宣言したことは、その後には毛坊主(けぼうず)として民衆の中で念仏を伝統する人々となり、「真宗」は本願寺という組織を建てて国家に認めてもらう訴えを長く続けていった。

そのような事柄も連想しつつ、結婚が国の管理する制度やサービスではなく、別姓婚のみならず同性婚などの多様な幸福表現が最初にできるようになる社会が願われているのだと、遅まきながら今朝うなずいたわけである。