上宮寺 勝祐絵像
16世紀の戦国時代に上宮寺の住職を務めたのが34代勝祐(しょうゆう)でした。 勝祐は同じ三河三ヶ寺である岡崎は針崎(はりさき)の勝鬘寺了勝(しょうまんじりょうしょう)の実弟にあたり、彼等の父了顕(りょうけん)は蓮如上人の …
じょうぐうじ、浄土真宗、親鸞、念仏、三河、聖徳太子、佐々木月樵、三河一向一揆、如光
16世紀の戦国時代に上宮寺の住職を務めたのが34代勝祐(しょうゆう)でした。 勝祐は同じ三河三ヶ寺である岡崎は針崎(はりさき)の勝鬘寺了勝(しょうまんじりょうしょう)の実弟にあたり、彼等の父了顕(りょうけん)は蓮如上人の …
上宮寺は最初から浄土真宗のお寺であったわけではありません。聖徳太子がお開きになった頃は、まだお念仏の教えは伝来していませんでした。そのため当初は三論宗(さんろんしゅう)とか法相宗(ほっそうしゅう)といった、奈良に伝来した …
法然房源空(ほうねんぼうげんくう)は親鸞聖人の先生で、親鸞聖人が「よき人」と呼ばれた人です。 親鸞聖人より40年先に生まれ、南無阿弥陀仏と念仏を称えることのみで、私たち凡夫に仏道が開き、浄土への往生が遂げられることを説き …
佐々木月樵は、その著書「仏心文化と教化」に次のような回想を記しています。 満山の青葉若葉、緑滴るばかりなる光景、えもいわれず、計らずも茲(ここ)に静かに眠れる明治仏教文化の開拓者の昔を偲びし時、まことに世を外なる書斎の老 …
三河一向一揆の赦免により、取り壊された上宮寺は何度かの段階を経て復興をしています。慶長元年(1601)にまずはと仮御堂が建てられましたが、寛永六年(1629)には本格的な本堂が再建される運びとなりました。その再建にあたっ …