親鸞聖人の出家

青蓮院での出家 「御絵伝」より 

親鸞聖人の家庭はどのような事情なのか、聖人が幼少の頃に離散してしまい、聖人を始めとする子供たちはみなお寺に預けられてしまいました。聖人がお寺に預けられたのは9歳の時で、これを聖人の出家(しゅっけ)、または得度(とくど)と言います。
「出家」とはまさに家を出て仏門に入ることで、親や兄弟と離れてお寺が生活の場となることです。この娑婆世間(しゃばせけん)の此岸(しがん)から、仏の涅槃界(ねはんがい)の彼岸(ひがん)に渡る者になったという意味で「度(わたる)を得る」として得度とも言われます。ここから仏弟子の道が始まるのです。
出家はお釈迦さま以来の伝統として、仏門の先達に師事し、許可をもらう必要があります。聖人は9歳の春、叔父の日野範綱(ひののりつな)に連れられ慈円和尚(じえんかしょう)の門に入られました。そこで髪の毛を剃(そ)り落とし、法衣を与えられ、在家から出家の者となられました。
この出家にまつわる物語があります。聖人が出家をお願いした時、慈円和尚はもう日が暮れるから明日にしようと提案されました。すると幼い聖人は
明日ありと 思う心の あだざくら
夜半(よは)に嵐の 吹かぬものかは
と歌を作り、今すぐの出家を望まれたそうです。明日があるから明日でいい、という心持ちは、夜のうちに散ってしまう桜のように危ういものである。そう人生の不確かさを語り、だからこそ出家を尊ばれた聖人の覚悟として、よくこの歌が語られてきました。
出家したと言っても正式な僧侶は成人からという規則があります。ですから聖人はいわゆる小坊主(沙弥(しゃみ))として、比叡山での修学・修行の道がいよいよ始まったのでした。