遺体に会う

今朝の新聞(朝日2015/07/30)に御嶽山の不明者捜索に関する記事が載っていました。

「(遺体が)見つからないとすべてが始まらないし、終わらない」「まだ遺族にもなれていない」

との不明者家族の声が載っていました。
お通夜のお参りでよく思うのですが、人間は親しい人の死を頭で理解するのではなく、まさにその遺体を「見る」ことによってうなづいていくのではないでしょうか。死に顔を見るという行為は、実はとても大事な経験でもあり、学習でもあるのではないでしょうか。
昔は青木新門さんの『納棺夫日記』から、今は釈尊の死を説く『涅槃経』(『ブッダ最後の旅』)から、死を見届ける大切さを葬式仏教の僧侶として考え、説いています。