お釈迦さまの滅後

お釈迦さまは弟子たちが見守る中で80歳で涅槃に入られました。それはこの生に何の後悔も無念もない、自分の人生によしとうなづけた、満足を得た死に方でした。

お釈迦さまが亡くなられたということで、弟子たちはお葬式を執り行うことになりました。当初弟子たちはお釈迦さまが亡くなられたクシナガラの街を避けてお葬式をするつもりでした。ところが天の神々が、街の人々にもお釈迦さまのお葬式を見届けてもらおうと意見し、葬列は街の中を通ることになりました。多くの人々に見送られて郊外に出た後、遺体はきれいな布に何重にもくるまれました。そして香油をかけ薪(まき)の上に載せて荼毘(だび)に付そうとしました。
ところがいくら燃やそうとしても火がつきません。薪がわるいのか油が足りないのかとやり直しても一向につきません。それで人々は、これは何かを待てというしるしだとお葬式をしばらく延期しました。

実はお釈迦さまが亡くなられたとき、後事を託そうとしたマハーカッサパ(摩訶迦葉(まかかしょう))という長老の弟子が遠方に説法に出かけ不在でした。お葬式が行われようとしていたときには慌ててクシナガラに向かっていた最中でした。
ようやくクシナガラに到着したマハーカッサパは、お釈迦さまのご遺体と対面し、最期のお姿に礼拝しました。すると不思議なことに自然に薪に火がつき、お葬式が執り行われたのでした。

これらお釈迦さまのお葬式は、仏教における葬式の原点だといえます。そこで大事にされているのは公開性です。その人の生涯が終わったことを人々に知らせ、現代では喪主(もしゅ)と呼ばれる、亡き人にとって最も縁深い人を中心に行われるのがお葬式だということです。それは単なる社会儀礼ということ以上に、誰もの人生が無数の人々との結びつきにあるように、いのち自体がいつでも世界に扉をあけている、いのちの公開性をお葬式は表しているのです。

さて、お釈迦さまのお葬式が終わり、人々はお骨を拾ってそれぞれの地にお墓を築きました。そのお墓は仏舎利塔(ぶっしゃりとう)と呼ばれ、後世にはお釈迦さまやその教えに縁を結ぶ重要な場所となりました。それはインドのみならす、西域・中国・日本等にも作られました。日本で代表的な仏舎利塔は三重塔や五重塔と呼ばれるものです。お釈迦さまは80歳で亡くなられましたが、その死ははたらく死となって、現代までの2000年以上、より広く遠く豊かに仏教となって弘めていったのでした。

これでお釈迦さまの生涯の物語は終わります。