唯識学習会39 「不可知の種子2」

本日11月10日唯識学習会の39回目を開きました。テキストを読みながら唯識仏教の初歩を学ぶ学習会です。

今回は前回に読んだ不可知の種子についての振り返りで皆さんとの座談となりました。

唯識では阿頼耶識にしろそのなかに納まっている種子にしろ「不可知」といいます。これは自分のものでありながら、自分では見ることも手を出すこともできないということです。

種子は私たちの生活の因となる物柄ですので、そうなると自分は一体何者かも不可知ということになってしまいます。しかしそれは自分が正体不明の存在だといっているのではなく、時や場所、または人や役割などによって変わっていくことを意味しています。つまり縁起する私ということです。

ではそのような人間の自由とか責任という問題はどうなるのか、といった話に展開し振り返りだけで終わってしまいました。

次回は改めてテキストの「本有種子と新熏種子」を読みます。12月11日(木)です。