正信偈講読24「摂取不捨の心」
本日2月27日、岡崎教区第18組の坊守学習会で正信偈講読の24回目を行いました。釈迦章の「摂取心光常照護」からの二句に入りました。
今回は「摂取心光常照護」ということから「摂取不捨」ということを見ていきました。
法然上人の時代に摂取不捨曼荼羅というものがあったそうです。実物は伝わっていないのか見たことはないですが、どうやら阿弥陀さんの摂取不捨の救済を絵図にし掛け、人々に阿弥陀さんの光が私たちを照らすことを示したようです。
その時に一箇所光が届いていない箇所がある。それは余の雑行の人々ということで、念仏を申さない人々には届かないということまで表したそうです。
それは単に聖道門と浄土門とか、雑行か正行かということ以上に、私たち念仏を申している者にもあてはまるでしょう。念仏しながらも何も阿弥陀さんにたすけられた生活が開かれない。摂取不捨体験がどこでうなずけるのか。とても大事な問題です。




