正信偈講読25「無明を破る」
本日3月13日、岡崎教区第18組の坊守学習会で正信偈講読の25回目を行いました。釈迦章の「摂取心光常照護」からの二句を読んでいます。
今回は「已能雖破無明闇」から無明とは何か、それを破るとはどういうことかを見ました。
昨日の朝日新聞「折々のことば」にパスカルの『パンセ』が紹介されていました。そこには、人間は死などの不幸やわからないことに目をつぶり耳をふさぐために気晴らしを始めたとありました。気晴らしは遊びということですが、たとえ公務のような仕事であっても、人間の不幸を見ないための気晴らしになりうると指摘されていました。
ああ、これは無明のことだなとすぐに連想し、「気晴らし」で一生を終えてしまう虚しさや、「気晴らし」で戦争をおこす恐ろしさを思いました。




