「笠脱いで」二幅

佐々木月樵は、その著書「仏心文化と教化」に次のような回想を記しています。

満山の青葉若葉、緑滴るばかりなる光景、えもいわれず、計らずも茲(ここ)に静かに眠れる明治仏教文化の開拓者の昔を偲びし時、まことに世を外なる書斎の老学究の私にさえ、何れよりか大正も既に八年となったではないか、汝は何をしておるのかの声をききました。帰って、これをわが恩師に伝えたれば、直ちにその返報に接しました。うちに句あり。云く、
笠脱いで 見よや 天下の青葉若葉
私はそれよりして、ぼつぼつと笠を脱ぐの準備にかかった。

(『佐々木月樵全集』第五巻「仏心文化と教化」)

大正8年(1919)、40代半ばの月樵は近代にふさわしい仏教教育を、京都の大谷大学にて同志たちと試みていました。それは亡き師、清沢満之から託された志でもありました。そのような重責ある生活の中で、ふと顔をあげた月樵の目に入ってきたのが、青葉若葉の色なすあざやかな世界でした。そこに月樵は、ひとつの声なき声を聞いたようです。
そのことを志を共にした、東本願寺23代大谷彰如(おおたにしょうにょ)、俳号句仏(くぶつ)上人に伝えたところ、句仏は月樵にひとつの句を贈りました。その句は月樵に到来した声を言いあてたようで、月樵は改めて句仏にその染筆を願い軸にしたようです。

この句仏からの俳句軸と共に、月樵は、近江出身の日本画家、山元春挙(やまもとしゅんきょ)による清涼感あふれる一幅を対の品としました。春挙は京都画壇で活躍していましたので、同じく京都で活動していた月樵とは少なからず交友があったのかもしれません。春挙の画は句仏の俳句に呼応した鮮やかな色彩でもって、天地自然が描かれています。

「笠」とは、日よけや雨具として頭にかぶったものです。かぶりものですから、下方ばかりに目がいくようになります。その様子は、悩みや煩いによって、下ばかり向いて歩く私たちの姿にかさなってきます。心が重くなり、ふさがっていけば、私たちはいつしかうつむいた生活をしています。閉じられた心には、天地に広がる花や木々の変化は目に入らず、世界は窮屈なものとなっていきます。 そのような私たちに対して、いつでも「世界はここにあるぞ」と呼びかけてくるのが仏教です。

仏教では最古の経典から、「覆うものをとりさる」という表現で、その功徳が語られています。これは浄土真宗の伝統の中でも、「如来は無蓋(むがい)の大悲をもって三界を矜哀(こうあい)される」と『無量寿経』で語られています。「無蓋」とは「覆うふた(蓋)を取り除く」というほどの意味で、如来は「無蓋」という形でもって、私たちをたすけてくださるのです。花へ木々へ世界へ目を向けよと、私たちの心を開き放ってくれるものを「無蓋の大悲」として仰いできたのでしょう。

世界はいつでも私たちを呼んでくれています。