「かなわぬ夢」ではない

『朝日新聞』今日(4月23日)の朝刊一面、「折々のことば」で大谷大学名誉教授の鷲田清一さんが次のように寄稿されてました。
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ANY WHERE OUT OF THE WORLD(シャルル・ボードレール)

「この世の外ならどこへでも」。あえて英語で書かれている。違う場所へ行けばもっと幸福になれるという、「青い鳥」の夢を謳(うた)っているのではない。逆である。つねにある場所から逃れ、住むべき別の場所を夢見るという、そんな幻想で編まれたみみっちい人生。そういう移住の夢で覆われた世界そのものの外へ出たいという、そもそもかなわぬ夢。痛い。散文詩集「パリの憂鬱(ゆううつ)」から。
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釈尊が2400年前に「輪廻からの解脱」として開かれ法、そして親鸞聖人が800年前に「生死出ずべきみち」としてよろこばれた道。「痛い」からこそ、「かなわぬ夢」ではない。