法然上人絵像

法然房源空(ほうねんぼうげんくう)は親鸞聖人の先生で、親鸞聖人が「よき人」と呼ばれた人です。

親鸞聖人より40年先に生まれ、南無阿弥陀仏と念仏を称えることのみで、私たち凡夫に仏道が開き、浄土への往生が遂げられることを説きました。

この、専ら念仏のみを修するという、専修念仏(せんじゅねんぶつ)の教義は、現在までの仏教各宗が主張する、様々な修行、例えば座禅や写経、滝行や巡礼を困難な修行[難行(なんぎょう)]と見て、いつでもどこでも誰にでもできる称名念仏(しょうみょうねんぶつ)こそ行える修行[易行(いぎょう)]として勧めたものでした。

どれだけすばらしい修行であっても、いまこの私がやり遂げられなければ高嶺の花だと、自分を凝視した法然上人の選びがそこにあります。法然上人は専修念仏の教えに出遇った瞬間の感激を大事に人々に語られました。

親鸞聖人が比叡山での修行に挫折し、行き場を失っていた時に、そのような法然上人に出遇い、上人が勧める念仏によってたすかることになります。後年親鸞聖人はそのおりの法然上人は、まさに光の人であったと語っています。それは念仏の教え通りに、いつでもだれでも、それがたとえ世間でつまはじきにされた者であっても、ようこそと迎え入れる法然上人に、光の明るさを見たのでした。

つり上がった眉毛、するどい眼光の親鸞聖人とは対照的に、法然上人は光の人にふさわしい穏やかで包容力ある姿でも描かれます。専修念仏という、このこと一つで誰をも受け入れる道を開かれた法然上人のお仕事を、絵像でも示しているのでしょう。

上宮寺に伝わる絵像は、室町時代に蓮如上人が第32代如慶(にょけい)に下付したものです。如慶は蓮如上人を支えた如光(にょこう)の娘であり、蓮如上人の支援のもとで住職を勤めとげた人物でした。

当時女性は宗教上でも差別を受けていましたが、蓮如上人はそのような女性に対してねんごろに念仏を伝えようとされました。法然上人も女性の求道心をことに大事にされた方でした。光の人として仰がれた法然上人が、奇しくも女性住職の代に伝わったということに、法宝物としての輝きがますように感じられます。