迎え盆会にて法話を

本日8月11日、自坊の迎え盆会にて法話をしました。

「間に合わないから願われている」を念頭に、親しく縁深い人が亡くなった後に懐く、後悔や後ろめたさの意義をお話してみました。

真宗は、いのち終わると浄土に帰ると説きます。いままではその教えの明るさのみを思っていましたが、私たちの心はそのように単純にはいきません。

亡くなった人を想うとき、あれでよかったのだろうか、これでいいのだろうかという後ろめたさや後悔、または恥ずかしさをしばしば感じます。自分たちが幸せなら亡き人も喜んでくれると考えることもできますが、そのような思いの影にどうしても割り切れない負の情感をもっているのが、私たちの事実ではないかと最近気がつきました。

そのような亡き人への負の情感は私たちをスキッとさせません。しかしだからこそ、亡き人からかけられた願いに気づき、それに護られてもう一度と立ちあがっていくことがおこるのではないでしょうか。