お釈迦さまの王宮時代
釈迦族の王族として生まれたお釈迦さまは、ゴータマ・シッダルタ(すばらしき者であり、成功する者)と名づけられ、一族の将来を担う者として王宮で大切に育てられました。
お釈迦さま自身が後年、王宮生活をふり返り「私はカシミヤ産の絹や香を身にまとい、季節ごとの宮殿を与えられ、私のためだけに蓮華を咲かすような細やかな心遣いをもって育てられた」と懐古されています。
そのような王宮生活の中で若きお釈迦さまは学問や武芸を身につけ、また結婚もし子供もさずかりました。そんなある日、お釈迦さまは宮殿から出て散歩に出られました。
まず東門から遊びに出てみると、そこには一人の小さくうずくまった人物がいました。お釈迦さまは家来に「あの力なく座り込んでいる者は何だ」と尋ねました。すると家来は「あれは老人です。人は年を取るとあのように老い、耳も目も手も足も衰えて人の手をかりねばならなくなるのです」と答えました。「私もあのようになるのか」とお釈迦さまがさらに聞くと、家来は「その通りです。あなたもいずれあのような老人となります」と答えました。
それを聞いたお釈迦さまは、老いの事実をはじめて知り、憂いが生じて王宮に帰ってしまいました。
しばらくしてお釈迦さまは再び城外に遊ぼうとし、今度は南門から出てみました。するとそこには病人がいました。次に西門から出た時には、そこには死人をかこむ葬式に出会いました。老人の時と同じように、病人を見、死人を見たお釈迦さまは、いずれあのように私も病で苦しみ、そして死ぬのかと知って大いに嘆いて、さらに憂鬱に日々を悶々と過ごすことになりました。
最後に北門から出てみた時、そこには整った身なりで静かに歩む人がいました。お釈迦さまは「あれは誰だ」と聞くと、家来は「あれは沙門(しゃもん)と呼ばれる道を求める人です。憂いや恐れを超える道を歩む方です」と教えました。それを聞いたお釈迦さまは、その沙門のすがたに感銘を受け、自分もあのように老病死を超えて生きてみたいとあこがれを持つようになりました。
これは王宮時代のお釈迦さまを伝える、四門出遊(しもんしゅつゆう)という物語です。