お釈迦さまの出家
王子であったゴータマは、生活には何不自由もなく、結婚もし子どもにも恵まれた王宮生活を過ごしていました。しかし内面には老いや病いへの不安、死への恐怖が芽生え、いまの若さや健康や幸福への信頼が揺らぎ、生きることを喜べなくなっていました。
そのような中で出遇った沙門(しゃもん)(求道者)の真実を求めるすがたにゴータマは憧れをいだきました。「あの人のように生きたい」という憧憬は日に日に強くなり、ついに抑えきれなくなってきました。
ある夜、ゴータマは王宮での宴会を楽しむこともできず、その場で眠ってしまいました。夜半に目を覚ますと、そこには自分と同じように家臣や女官や楽士たちが眠りこけていました。饗宴の後の皆の寝姿を見ていたゴータマは、快楽と空しさで費やしている生活に耐えきれなくなり、今すぐに出家しようと思いたちました。
ひそかに従者のチャンナを起こし、愛馬カンタカに乗ったゴータマは、両親にも妻にも我が子にも別れの挨拶をすることなく、月明かりの中、静かに王宮を出ました。王宮を離れた地で、ゴータマは髪を剃り、豪奢な衣服を捨てて粗末な格好となり沙門となりました。それは真実を求める道に出発することを決意した姿でした。別れを惜しみ引き止めるチャンナには、「道が明らかになるまで私は帰ることはない」と、決意を皆に伝えるよう命じました。
「出家」は文字どおり、家を出て、家族と別れ、地位も身分も財産も、何もかも捨てることです。あるのは我が身と衣と食事の鉢だけというすがたです。現代でいうならば、仕事や家庭を捨てることはもちろん、国籍まで捨てて、保障や権利を受けない身になることだと喩えられます。そのため出家は「大いなる放棄」とも語られます。
時にゴータマ、29歳の決断だったと伝えられています。