お釈迦さまの修行

なぜ生きることは辛いのか、なぜ老いや病いや死ぬといった苦しみがあるのか。どうしたら解放されるのか。ゴータマはその問いをとかずにはおれなくなり、出家して道を求めました。
最初にゴータマは有名な指導者のもとを訪ね、「禅定(ぜんじょう)」という修行法を教えてもらいました。禅定とは瞑想のことです。しかし禅定に入っている間は安らかであっても、そこから出るとすぐに不安や苦しみが起こってくることに気付いたゴータマは、彼らの教えでは不充分であるとして、自分自身で道を明らかにすることを決意しました。ゴータマは指導者のもとを離れ、ウルヴェーラーの苦行林に入っていきました。

ウルヴェーラーの苦行林跡

当時も今も、インドでは禅定とは別に「苦行(くぎょう)」と呼ばれる肉体を痛めつける修行が行われています。肉体の力が弱まれば精神の力が強くなるという考え方により、文字どおり肉体を傷つけ苦しめるのが苦行という求道方法です。
苦行には立ち続ける、座り続ける、手を挙げ続ける、太陽を見続けるといったものから、墓場で暮らす、裸で暮らす、牛や犬の真似をして暮らすといったものや、草や豆、はては糞しか食べないといったものなど、想像を絶する苦行法が現代まで伝えられています。
そのような様々な苦行を実践するもゴータマの心には平安は訪れず、最後にゴータマが試みたのが断食でした。これは文字どおり食事を断っていく行で、1日豆1粒がやがてゴマ1粒となり、それもついには1週間に1粒となり、2か月、3か月、長いときには1年以上をほとんど絶食状態で過ごす苦行法でした。そのあまりに徹底した苦行により「ゴータマは死んだ」という噂が流れるほどでした。
パキスタンのラホール美術館が所蔵する釈迦苦行像は、一度見たら忘れられないほどの衝撃があります。眼窩(がんか)が落ちくぼみ浅黒い生気のない肌で、骨と皮だけとなっても座り続けるこのゴータマの姿が表すように、誰もがなすことのなかった極限まで私は苦行を試みたと、後にお釈迦さまは語っています。
そのような苦行生活を経る中で、ゴータマはやがて、苦行という方法では苦痛と疲労が増すばかりで何も益がないと気がつき苦行を止めることにしました。実に六年もの苦行生活の果ての転機でした。