鍵主先生と宗先生の還浄

遅まきながら5月に宗正元(そうしょうげん)先生が、7月に鍵主良敬(かぎぬしりょうけい)先生が亡くなられたことを知りました。

宗先生は大谷専修学院の現体制の創設期に尽力された職員だということを在学時代に知り、一度だけ学院で講話を聞く機会がありました。

話の前後は忘れてしまいましたが、「『生かされている』と言われることに辛い人もいるのです」と語られたことに驚きを受けた思い出があります。宗先生はその理由をお話にはなられませんでしたが、今にいたるまで印象深い言葉として私の宿題となっています。

鍵主良敬先生(撮影赤堀あゆみ、上宮寺宗祖御遠忌、2016)

鍵主先生は大谷大学の仏教学の先生ですが、私にとっては山田亮賢先生を通して佐々木月樵に縁を結ばれた人としておられました。そのようなご縁でしたから、上宮寺にはたびたび来て下さり、最後のお目にかかったのが4年前の親鸞聖人の御遠忌でした。
鍵主先生はいつお会いしても、いま研究されていること学ばれていることを目を輝かしながらうれしそうに楽しそうに、子どもの如くに私にお話し下さいました。

鍵主先生は月樵と同じく『華厳経』の研究者でしたが、それもあるのでしょう、私はその『華厳経』に出て来る求道の若者である善財童子が先生のすがたとして重なります。

「菩薩は永遠の若人」といった言葉を聞いていますが、いつでも初めてのように新鮮に法を学んでいかれた鍵主先生は、私の未来像のお一人です。