豊川の長泉寺さんでお話を

本日3月22日、豊川は国府の長泉寺さんの彼岸法会にてお話をしました。

「病はさけられないが くじけない いのちがある」を講題にあげ、この一年のコロナウイルスと私たちの向き合い方を振り返り、仏法は何を教えてくれるのかをお話しました。

お釈迦さまの出発は生老病死の苦を見たことからと伝わっています。それも人事としてまたは未来のこととして見たのではなく、私の人生にある逃げられない現実として向き合われました。いわば「病はさけられない、目をつむれない」という態度をとったことが仏教の始まりにあると思います。

そのように苦しく辛く悲しい現実に勇気を持って向き合うことを仏教では「精進」と言います。その逆に、現実に目をつむってあいまいにする態度を「放逸」と言います。

昨日上宮寺でご法話された先生は、「今日のコロナの状況では、医療や経済よりも宗教が大事になる」と語られていました。コロナにかからずとも、コロナが終息しても、私たちは病をさけることは決してできません。だからこそ、病をも含む生老病死の苦からどうたすかるのかが私たちの問題だとお伝えしました。