納骨堂法会でお話を

本日上宮寺の納骨堂法会で法話をしました。「慚愧に出会いの場が開かれる」を講題に出しました。

我々と他者とは本来「間に合わない」関係だと教えられたことがあります。お互いの体が別々にあるように、他者に何かしようとするとどうしても一拍遅れるということです。

特に亡くなられた人については、何かを伝えたい・聞きたいとしても、もう間に合わないということが顕著におこります。そういうときに起こる感情が慚愧です。

慚愧は後悔ややるせなさもありますが、そのような恥ずかしさ・申し訳なさを思うことが、実は亡き人との出会いが開かれる時でもあります。それは仏典でも語られています。

そのような亡き人との出会いが私たちの生活のどこで開かれるのかを短い時間でしたがお伝えします。