蓮行阿闍梨像

上宮寺は最初から浄土真宗のお寺であったわけではありません。聖徳太子がお開きになった頃は、まだお念仏の教えは伝来していませんでした。そのため当初は三論宗(さんろんしゅう)とか法相宗(ほっそうしゅう)といった、奈良に伝来した古い仏教を弘めていたようです。その後には比叡山で学んだ僧侶が入り平安時代は天台宗のお寺だったようです。

その上宮寺の転機となったのが貞永元年(1232)の親鸞聖人の三河来訪です。当時の住職は23代の蓮行阿闍梨(れんぎょうあじゃり)でした。蓮行は親鸞聖人がお念仏の教えを弘めていることを聞いて様子を見にいったそうです。

蓮行は天台宗を修めた僧侶でしたので、まだ見ぬ親鸞聖人に対して、流れ者の坊主が小賢しく説教している程度で見にいったと伝わっています。ところが実際に聖人と対面し、その口から浄土真宗を聞いた蓮行は、これは私の知らなかった尊い教えを説いておられると驚き頭を下げ、聖人の弟子となり浄土真宗に帰依したそうです。ここより上宮寺は浄土真宗の、お念仏のお寺として新たに始まり現在に至っています。
親鸞聖人は京都へ帰る旅の途中でしたので、やがて三河の地を後にすることになりました。蓮行は聖人との別れが尽きがたく、美濃の墨俣までついていき、そこで聖人に諭されて別れたと伝わっています。

蓮行阿闍梨は上宮寺歴代の中でも親鸞聖人と出遇い浄土真宗に転宗した人物として特に注目されています。江戸時代の安定した時代の中では上宮寺の歴史が省みられる、蓮行も絵像として新たによみがえりました。作成された絵像は天台の僧侶ふうに描かれており、阿闍梨という尊称や、曲録(きょくろく)という椅子に座る姿もその特徴の一つです。また表具も天台様式で、浄土真宗が用いる表具よりも渋い色合いが使われています。2010年に修復されましたが、先の表具を踏襲して直されています。