我々には無限の可能性とそれを選ぶ自由がある
【私が生れたよりももつと遠いところへ。そこではまだ可能が可能のままであつたところへ。】九鬼周造
今日(2015/10/05)の朝日新聞連載の「折々のことば」に紹介されていました。
浄土真宗では「天親菩薩」で親しまれている世親(せしん)は、唯識思想をよく学ばれた方でした。その唯識思想では、我々には阿頼耶識(あらやしき)という知覚できない深い心があり、そこには無限の可能性が秘められていると説いています。もちろん仏陀になる可能性もありますし、地獄に堕ちる可能性もちゃんとあるそうです。
しかし、その無眼の可能性に対して、何を選び、何を育てるのかは我々次第とも言われます。
ちなみに仏に成るためにはどうするか。唯識では「仏法を聞け」と簡潔に言います。何故なら、仏法だけが我々の心に無漏清浄の香りをあたえてくれるからです。