ニーチェの言葉と唯識
【事実なるものはなく、あるのはただ解釈のみ ニーチェ】
本日2016年3月28日掲載の、朝日新聞「折々のことば」で鷲田さんが紹介されていた言葉です。ニーチェのことはよくは知りませんが、仏教のことなら知っています。
ニーチェの言葉を読んですぐに思い出したのが、唯識の思想です。唯識思想は真宗では「天親菩薩」で親しまれている世親が修得した仏教です。「唯識」とは「ただ心(識)が世界をつくっている」とでも意訳できる教えです。
「私の心が、この世界を、そして私を作り出している」と理解した世親たちに言わせれば、おそらくニーチェの言葉は次のようになるのでしょう。
「事実なるものはあるけれども、見えるのはただ解釈のみ」
事実は事実として厳粛にあるけれども、それを見させない我々の心があるとするのが唯識の考え方です。だから唯識では事実を事実として見られる智慧の獲得を、仏に成るとしています。
よく思うのが、死という厳粛な事実があるけれども、それを見させない、考えさせない我々の現実もあるわけです。だから、事実にどうやって近づいていくのか、そういうのが仏教の目指すところだと思います。