親鸞聖人の比叡山

9歳の時に出家して仏門に入った親鸞聖人は、比叡山(ひえいざん)で修学・修行を始められたようです。
比叡山は京都の北東にある山で、伝教大師最澄(でんぎょうだいしさいちょう)が延暦年間にその地を開いて仏教道場としました。今でこそ天台宗の総本山ですが、親鸞聖人の時代は現代でいうなら仏教総合大学といった場所で、南都(なんと)と呼ばれた奈良の古い寺院と双璧をなす仏教者が集う北嶺(ほくれい)の学び場でした。実際後世に名を残した法然上人や道元禅師、また日蓮上人らは皆一度は比叡山に登っています。

常行三昧堂と法華堂
常行三昧堂と法華堂

山に登った者は、「学生(がくしょう)」と呼ばれる学問の専門家か、「堂衆(どうしゅう)」と呼ばれる修行者のどちらかに大抵はなりました。では親鸞聖人はどちらだったのでしょうか。実は聖人は学生にも堂衆でもない「堂僧(どうそう)」と呼ばれた役におられたようです。
比叡山にはその山全体に数多いお堂が建っています。堂僧とはそのお堂のお守り役として、学生や堂衆、または在家の信者がお堂を使用するときの世話係だったようです。ですから親鸞聖人の比叡山時代は、どちらかといえば裏方におられたことが想像できます。

 

親鸞聖人はその比叡山で、9歳から29歳までの実に二十年間の長い間おられました。しかしその間の生活ぶりは全くわかっていません。聖人は生前に山の時代のことを話されなかったようで、どのお堂でどのように暮らされておられたのか、どこにも記録が残ってはいません。確かなことは、29歳の年に比叡山を下りる決心をされたことです。