親鸞聖人の回心
挫折し、二十年間を過ごした比叡山から下りた親鸞聖人は、六角堂での参籠(さんろう)を決意されました。参籠とはお参りに籠(こ)もることで、聖人は百日間籠もること決意されました。その姿を後年聖人の奥さまは「後世(ごせ)を祈っておられた」と伝えておられます。
籠もりはじめたのは年明けの寒さ厳しい時期だったようです。そこでひたすら聖徳太子に祈っておられた聖人は、参籠が終わりかける九十五日の明け方に不思議な夢を見ました。それは白い衣をまとった聖徳太子が、聖人に声をかけられる夢でした。現在その言葉は「女犯偈(にょぼんげ)」として伝わっていますが、それは「何があっても、何がおこっても、私はあなたを見すてない」との呼びかけでした。
自分をもてあましやりきれない者は、いつか自分自身を見限り見捨ててしまいます。自分自身を見捨てそうになっていた聖人に対し、太子の言葉は思いもかけない不思議な言葉でした。同時に何があっても絶望しなくてもいい世界の存在を、聖人に予感させてくれました。その予感を確かめるべく向かった先が、都で評判だった法然上人のもとでした。
当時法然上人は東山の吉水(よしみず)の地に庵をかまえておられました。そこは男女や老少を言わず、身分や職業を問わない、誰もが平等に迎えられた希有(けう)な場所でした。それは法然上人の人徳のように見えましたが、上人はこの功徳は阿弥陀如来のお念仏にあると、ただその念仏を人々に伝達しておられました。親鸞聖人はその法然上人に出遇い、お念仏の教えが納得できるまで再び百日間通い続けられたそうです。そしてついにその本願の念仏に納得し、帰依することができました。この深い決断を「回心(えしん)」と言います。
回心とは、お念仏を申す私が生まれたことです。親鸞聖人にとっては、法然上人と同じくお念仏を申す人になったことであり、それは確かな希望の獲得でもありました。回心は二度目の誕生とも呼ばれます。まさに親鸞聖人は法然上人のもとで新たないのちを得てよみがえり、念仏者に生まれかわったのでした。