法話 富山西円寺にて

OLYMPUS DIGITAL CAMERA昨日(12日)富山の西円寺さんの永代祠堂法要でお説教をしてきました。
「いのちの願い」を念頭に、この身に宿している「いのち」自身が示す無量寿性や、向日性等の性質についてご紹介してきました。
仏法を聞き始めた20代のころは、先生たちがよく言われる「いのち」という言葉がピンとこず、どちらかというとその言葉を避けてきました。ところが近頃になってどうやら回路がつながってきたようで、自分の言葉となってきて、お説教の用意をする中で、思いがけず「いのちの願い」という講題となりました。
仏教の伝統では聞くことによって身につく「聞熏習(もんくんじゅう)」ということが言われますが、こういうことなのだろうかと、仏法不思議を思う時があります。