聖人の滅後

普通の伝記はその人の死によって終わります。ところが親鸞聖人の伝記は、聖人が亡くなってから、さらにもう一段続きがあります。それは浄土真宗が、死者に対して「一度死んで、二度死なせない」という態度をとっていることと深く関わりがあります。

生まれた者は娑婆(しゃば)の縁が切れる時に、必ず誰もが一度は死んでいきます。またそれを見送る人たちも、死に顔を拝んだり、御骨を拾うことでその人の死を確かめ合います。しかし「死」はこの一度きりではなく、二度目の死があります。それはその人のことが忘れ果てられる時です。

親鸞聖人は90歳の生涯を終え、その遺骸は火葬されて大谷の地に埋葬されました。はじめは小さな骨塔だけでしたが、弟子たちは生前と変わらずに聖人のお墓に親しくお参りし、次第に骨塔に屋根がつき、参詣者の宿が建ち、御木像が置かれるようになりました。

聖人を見とった末娘の覚信尼公(かくしんにこう)はお墓を共同財産にし、そのお守り役につきました。覚信尼公亡き後は、その息子が、そして孫がと、聖人の血筋の人々が、代々門徒を代表して墓所の管理を行っていきました。

 

やがて墓所は寺化(てらか)して本願寺を名のるようになりました。しかしそこは親鸞聖人の御廟(ごびょう)であり、そこに行けば聖人に会える場所であることは変わらず、本願寺となっても聖人を中心とした念仏の根本道場として、みなの護持により現在まで相続されていきました。

そこから生まれたのが蓮如上人であり、また上宮寺の如光上人ら無数の門徒たちでした。それは今も変わりありません。ですから親鸞聖人は、一度死んでも、二度死ぬことなく、私たちの側に、今もおられるのです。だから、我々が親鸞聖人のことを忘れ果てることがない限り、親鸞聖人は時を超え場所を越えて、我々に会いに来て下さるのです。

親鸞聖人の物語の終わりは、私たちとの再会の始まりを描いているのです。