「慢」という煩悩

【傲慢な人々、自卑におちいる人々は、感情に極度に屈従する人々のことである。】スピノザ

本日の朝日「折々のことば」は、オランダの哲学者スピノザのことばを紹介していた。

近くは一昨日次期大統領に決まったトランプさんを意識しているのだろうし、広くは日本や世界で支持を得ている、「強さ」とか「誇り」をあおるアベさんのようなポピュリズム(大衆迎合主義)の政治家や、その支持者を指していると思える。

スピノザは「感情」と言っているらしいが、仏教では古くから「慢」という精神作用を説いている。

「慢」は、自分を過信して他者に向き合おうとする心の動きである。能力を必要以上に見せようとする増上慢もあれば、逆に必要もない優劣を他者とつけ、自らをおとしめる卑下慢もある。

「慢」は、「思い上がり」とか「うぬぼれ」とも言われるが、いずれにしろ事実の自分を見ずに、虚構の自分を作り上げて他者と向き合うことで、それは自分や他者に苦しみを生み出す「煩悩」だとされている。

煩悩を知るのは簡単である、そこに自分や他者の傷みや悲しみが出現してくれば、それはどこかにゆがんだ虚構を作っていることを教えている。その生命感覚を無視し、感情や煩悩に流される人生は、必ず破滅すると仏教は説いている。