聖人の執筆
京都にもどった親鸞聖人ですが、久方ぶりの帰郷はあまり楽しいものではなかったようです。
すでに師である法然上人は亡くなっており、共に机を並べた兄弟弟子たちは銘々勝手に念仏の教えを吹聴したようで、聖人にとっては、なさけなく、嘆かわしい状況になっていたようです。
そういう中で親鸞聖人は執筆活動に精を出されます。特に関東に残してきた弟子たちの学習を気遣かい、何冊もの本を書き送っています。その中の『唯信鈔文意(ゆいしんしょうもんい)』という本には、次のような聖人の言葉が記されています。
いなかの人々の、文字の意(こころ)も知らず、あさましき愚痴きわまりなきゆえに、易(やす)く心得させんとて、同じことを、たびたび取り返し取り返し、書きつけたり。意(こころ)あらん人は、可笑(おか)しく思うべし。嘲(あざけ)りをなすべし。しかれども、大方(おおかた)の誹(そし)りを顧(かえり)みず、一筋に、愚かなる者を、心得やすからんとて、記せるなり。
学問に遠い「いなかの人々」に対して、わかりやすく正しく伝わるようにと、心を砕いて聖人は執筆活動をされました。その中で生まれたのが、歌の形で口ずさめる『和讃』や、仮名聖教(かなしょうぎょう)と呼ばれるカタカナ交じりの本でした。
そのようないなかの人々への著作活動と同時に、聖人は生涯を総括する主著も作られていました。『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』と呼ばれる六巻からの大部な著作です。こちらは全て漢文体で、当時の正式な仏教書の体裁がなされています。これを聖人は常に手元に置かれ、晩年に至るまで推敲(すいこう)に推敲を重ねて練り上げられました。
我々がもっとも親しんでいる『正信偈』も、この『教行信証』の一部として書かれた
ものです。