二尊連坐像

「二尊連坐像」―浄土の兄弟となった蓮如と如光―

蓮如・如光二尊連坐像(応仁2年(1468))
蓮如・如光二尊連坐像(応仁2年(1468))

【上部「正信偈」の銘文】

如来、世に興出したまう所為(しよい)は 唯だ弥陀本願海を説かんとなり。
五濁悪時の群生海  如来如実(によじつ)の言を信ずべし。
能く一念喜愛の心を発すれば  煩悩を断ぜずして涅槃を得るなり。
凡・聖・逆・謗斉(ひと)しく回入(えにゆう)すれば 衆水(しゆすい)水海に入りて一味なるが如し。

【書き下し】

釈迦如来がこの世間に出現した目的は、ただ阿弥陀仏の本願という光の海を説くためであった。悪に濁った苦海にうごめく者達よ、釈迦如来が勧める本願の名号南無阿弥陀仏を信じなさい。本願を信じる一念喜愛の信心をおこせば、煩悩を断つことなく清涼なる涅槃を得ることができる。愚かな者も賢い者も、罪を犯した者も疑いをもつ者も、誰もが本願の海に回心・懺悔して入れば、様々な川の水が海に入って同じ一味の潮になるように誰もが浄土の兄弟となるのである。

【解説】

上宮寺に伝わる法宝物の中でも特に大切にされてきた一つが「蓮如上人如光上人二尊連坐像」です。蓮如上人を三河の地で支えた三十代如光上人が、蓮如上人と共に描かれているため連坐像と言います。この連坐像の上部には銘文として、親鸞聖人の「正信偈」からの八句が蓮如上人によって挙げられています。
銘文とはそこに描かれている人物が一体何者なのかを示す言葉です。蓮如上人は如光上人を何事にも頼りとされ、如光上人は蓮如上人に一命をかけて属(つ)き従ったと伝えられています。そのような二人の関係は、一般的な上下関係や友情とは質の異なる、深い尊敬に根付いたものであったことがこの銘文に示されています。時代社会が動乱し人間性が濁っていく中で、二人が尊敬しあえたのは、共に念仏申して、浄土の兄弟となったからです。実はこのことこそが仏法で救かった証拠なのです。
我々の苦しみの最たるものは人と人とが出会うことができずに、すれちがってしまうことです。縁あって家族となった者が知り合った者がとなりで暮らす者が、その関係が結べず、逆にすれちがい対立していくことを地獄というのです。だからこそ人と人とが出会うことができる浄土を誰もが求めているのです。浄土に生まれることを誰もが願わざるをえないのです。縁ある者と互いに信頼し尊敬しあう関係がここにあるぞと、先に浄土に生まれた御二人が連坐像となって、後に続く我々に呼びかけられています。