『弥陀如来名号徳』断簡

親鸞聖人著『弥陀如来名号徳』断簡
〜我らの夜を破り、朝の光をあたえてくださる南無阿弥陀仏〜

『弥陀如来名号徳』断簡【原文】

……浄土論にあらはしたまへりいふ 諸仏咨嗟の 願に 大行あり 大行といふは 無礙光仏の 御名を 称するなりこの行 あまねく 一切の 行を 摂す 極速 円満せりかるかゆへに 大行となつくこのゆへによく 衆生の 一切の無明を 破すまた 煩悩を 具足せるわれら 無礙光仏の 御ちかひをふたこころなく 信するゆへに 無量光明土にいたるなり 光明土にいたれは 自然に 無量の徳をえしめ 広大のひかりを 具足す 広大の 光をうるゆへにさまゝゝのさとりをひらく也……

【現代語訳】

……〔そのことは〕『浄土論』に著されておられる。このように述べられている、〔阿弥陀仏の〕諸もろの仏に誉め讃えられる願い(第十七願)に大行がある。大行というのは無碍光仏(阿弥陀仏)の御名前を称えることである。この行いは全ての善き行いを摂めることが完全に成就している。だから「大いなる行い」と名づけられている。そのため、〔我々〕衆生の全ての闇を打ち破るのである。また、煩悩を身に具えている我々は、無碍光仏の尊い誓いを一心に信じるからこそ、無量の光ある明るい世界に到達するのである。光明の世界に到達すれば、自然と無量の光の功徳をあたえられ、広く大きな光を身に具えることとなる。広大な光〔のはたらき〕を得たために、我々はいろいろな事に関して〔新しい〕目覚めを開くのである。……

【解説】

親鸞聖人は88歳の時に『弥陀如来名号徳』という短い聖教を書かれています。この本は長野の正行寺に不完全な一冊があり、それを補う断簡が上宮寺に伝わるものだと考えられています。この聖教は他に写本等の類を見ない大変珍しいものであるため、十分な研究ができていません。そのため上宮寺の断簡が確かに『弥陀如来名号徳』であるかは異論もあります。

『弥陀如来名号徳』は、阿弥陀如来の名号である「南無阿弥陀仏」のはたらきを、十二の光に喩えて門徒の人々のために解説したものです。十二の光とは『正信偈』の「普放無量無邊光(ふほうむりょうむへんこう)」から「超日月光照塵刹(ちょうにちがっこうしょうじんせ)」にあるもので、この断簡ではその四番目にあたる「無碍光」(碍(さわり)が無い光)について親鸞聖人が解説をされていると読めます。

阿弥陀如来とその国である浄土は、よく光に喩えられます。それは我々がいつでも暗闇の中で生活をしているからです。暗闇とは闇夜の様なものです。自分がしたいことが見えず、となりに人がいても気がつかない暗闇のことです。南無阿弥陀仏はそのような我々に、朝の光をあたえてくれる大きな行いでなのです。だから親鸞聖人をはじめとする多くの諸仏たちは、南無阿弥陀仏を称えなさいと勧めて下さるのです。