お釈迦さまの成道

樹下に静かに座り、国や家族を棄ててまで求めた初めの問いにゴータマは真向かいになりました。どうしたら苦しみから脱け出せるのかと。

座り続けること一昼夜、明けの明星が輝く頃ついにゴータマは道を成し果たしました。問いの答えを見出しブッダに成ったのでした。

仏さまのことを仏(ぶつ)または仏陀(ぶっだ)といいますが、ブッダとはインドで「目覚めた」という意味の言葉です。朝になって光が射し込めば目が覚める。目覚めれば起き上がる、生活が始まる。まさにそのような立ちあがり始めていける者に成ったことを「ブッダ-目覚めた人」と形容しました。

夜中に苦しい夢を恐ろしい夢をどれだけ見ても、朝が来れば夢だったとわかれば安心します。それまで苦しいと、恐ろしいと感じていたことが、目覚めれば一瞬で消えて解放されます。そのような明るい喜ばしい人間になることをゴータマはここに成し遂げました。出家から6年後の35歳の時だったと伝えられます。


成道を「悟りを開く」ともいいますが、悟りとはわかって明るくなることです。わからずに暗く迷っていたことに光が当たってはっきりする。それを「智慧(ちえ)」を得るといいます。
智慧をお釈迦さまは「縁起(えんぎ)」と言われました。「縁起」とは、私もあなたも世界も、全ては縁によって変わっていくという道理です。善いことも悪いことも全ては柔軟に変化していくのが道理で、こうでなければならないとか、これで決まっているというのは思いこみであり、そのような妄想から苦しみが生まれるとわかるのが智慧です。私たちが当たり前にしている意識の前提が間違っていたと目覚めることが悟りなのです。

 

 ゴータマがブッダに成った場所は、ガヤーという街の郊外でした。そのため後にブッダガヤーと呼ばれ、全世界の仏教徒にとっての大事な仏跡となりました。
お釈迦さまが座られた場所は、現在も金剛宝座(こんごうほうざ)として大切に守られ、座られた樹は目覚めた樹という意味で菩提樹(ぼだいじゅ)と呼ばれています。今もその子孫が広い枝振りでもってブッダガヤーに参拝する人びとを迎えています。