「人生しょせん暇つぶし」に対して

本日(2015/09/17)の朝は安保法案採決にもドキドキするが、朝日新聞連載の「折々のことば」にもドキドキさせられた。

【人生は死ぬまでの暇つぶしやから。暇つぶしには仕事が一番ええ】

少し前にヒットした、島田洋七氏の「がばいばあちゃん 幸せの教え」から鷲田清一氏が引いている。鷲田氏は「怖い視点だが、こう考えると人生、少し気が楽になる。」と評している。(http://digital.asahi.com/articles/ASH8X7WYKH8XUCVL018.html)

 

どうだろうか、私にはとても「幸せの教え」とは思えない。「気が楽になる」などとは言い切りたくない。単純に感じるのは人生を「暇つぶし」と言ってしまう空しさとさびしさである。そんな所から生まれる仕事に満足や喜びが生まれるのだろうか。

児玉暁洋という仏教者は、生まれた理由や生きる意義を見いだせない者を「どうせ、せめての人生」と表現された。「どうせ――だから、せめて○○しよう」と愚痴から始まる人生観である。仏教ではそれを「輪廻」とか「流転」と伝統的に教えている。

「がばいばあちゃん」がどのような文脈で言われたのかは知らないが、少なくとも鷲田氏が紹介する言葉に対しては、「人間の魂をなめるな!」と言いたい。