お釈迦さまの説法

ブッダに成ったゴータマは、目覚めた明るさに、苦悩からの解放をかみしめ思う存分その喜びを味わっていました。

そのような中で一つの憂いが生じました。自分は道を成した。この喜びを法(道理)として他の人にも伝えたい気持ちはあるが、この法は深く繊細であるため理解されるのは難しくかえって誤解や混乱をおこすのではないかという不安でした。そのためお釈迦さまは法を説くことをあきらめ自分ひとりの胸にしまっておこうと考えました。

その様子を梵天(ぼんてん)という神々の王が見ていました。梵天はお釈迦さまが沈黙されようとすることに驚き慌ててお釈迦さまに懇願しました。どうか我々苦しむ者たちに法をお説きください。もし説かれないならば、不浄なる者の教えがはびこるだけになってしまいます、と。

この梵天の勧請(かんじょう)を承けお釈迦さまは起ち上がりました。そして最初に法を説くにふさわしい者として、かつて苦行をして共に道を求めた五人の仲間を思いだしました。

かつての仲間は、お釈迦さまが苦行を放棄したことからゴータマは堕落したと思いこんでいました。そのため最初彼らはお釈迦さまを無視しようと示し合わせましたが、お釈迦さまの自信に満ちた威容に驚き、思わず出迎え尊敬の意を示してしまいました。

そのような彼らに、お釈迦さまは自分が目覚めた法を丁寧に丁寧に何日もかけて教え伝えました。そしてついに彼らもお釈迦さまと同じく目覚め、その明るさを知ることができました。

このお釈迦さまの最初の説法を「初転法輪(しょてんぼうりん)」といいます。まるで車輪が転がり車が動きだすように、仏教はここから始まったのでした。

成道後のお釈迦さまは街から街へ人から人へと説法の旅を歩まれました。その旅路で多くの人が仏弟子となり、お釈迦さまと同じ目覚めの明るさを得ることになりました。それはお釈迦さまが息をひきとる間際までの大いなる事業となりました。