聖人の臨終
親鸞聖人は晩年、何度か都の中を移り住んでいたようで、最後は実の弟のお寺に間借りし、執筆活動や訪ねてくる人々の相談にのっていたようです。 門弟たちも御聖教(おしようぎょう)の御礼などにお布施を送り、聖人の生活を支えていたよ …
じょうぐうじ、浄土真宗、親鸞、念仏、三河、聖徳太子、佐々木月樵、三河一向一揆、如光
親鸞聖人は晩年、何度か都の中を移り住んでいたようで、最後は実の弟のお寺に間借りし、執筆活動や訪ねてくる人々の相談にのっていたようです。 門弟たちも御聖教(おしようぎょう)の御礼などにお布施を送り、聖人の生活を支えていたよ …
仏教は西暦500年代の中ごろから日本に伝わってきました。その頃の中国は仏教文化が花開いた時期でもあり、その影響は朝鮮半島を経て日本にも伝わってきました。 当初仏教は外国の神であるとして「蕃神(ばんしん)」と呼ばれ、それを …
京都にもどった親鸞聖人ですが、久方ぶりの帰郷はあまり楽しいものではなかったようです。 すでに師である法然上人は亡くなっており、共に机を並べた兄弟弟子たちは銘々勝手に念仏の教えを吹聴したようで、聖人にとっては、なさけなく、 …
35歳で越後へ、40歳からは関東の国々へ。定まった家を持たず、縁によって様々な地に家族と共に漂泊した親鸞聖人でしたが、60歳頃に京都へ帰る最後の旅に出ます。 なぜ京都へ向かわれたのか、昔から考えられてきましたが、60とい …
35歳の時、冤罪で越後に流された親鸞聖人ですが、流罪地での暮らしぶりは、ほとんど伝わっていません。ただこの時には結婚をし子どももおられたようです。近年では、京都の吉水時代に恵信尼公と出会われ、結婚されていたと考えられてい …