親鸞聖人の誕生
承安(しょうあん)3年(1173)、親鸞聖人は京都郊外の日野(ひの)の里に日野有範(ひのありのり)の長男として誕生しました。この頃はちょう
ど平清盛(たいらのきよもり)を筆頭とする平家一族が栄華をほこった時代で、それまでの貴族社会から新たな武家社会に移行していく変化と動乱の時代でした。
聖人の故郷となった日野の里は現在の京都市伏見区にあたり、日野家の氏寺(うじでら)である法界寺(ほっかいじ)(真言宗)が現在もあります。また昭和六年には聖人誕生の地として日野誕生院(本願寺派)が建立されてもいます。
聖人が生まれた日野家は名門貴族の藤原家に属し、後には応仁の乱で有名な日野富子(ひのとみこ)を輩出した家柄でもあります。聖人の父の有範は貴族でしたが下級職であったようです。また母親は不明ですが、江戸時代には吉光女(きっこうにょ)という名で、聖人が幼い頃に死別した物語が作られていきました。同じく聖人の幼名も松若(まつわか)と物語られましたが、当の聖人自身は家や両親について何も言われず、聖人の幼少期はわからないことが多いのです。
ただ聖人の家に何か問題があったことは確かなようです。父である有範は聖人が幼い頃に家を出てお寺に入っていますし、聖人を筆頭とした五人の兄弟も皆出家して僧侶となっています。そのため聖人の家は何らかの事情で一家離散してしまい、幼い子供達はみんなお寺に預けられたのではないかと考えられます。
家は無くなってしまいましたが聖人たち兄弟の交流は生涯続いたようです。後年には兄弟で父有範の法事を勤めたり、弟のお寺に聖人が間借りしていたことが断片的にわかっています。いずれにしろ時代的にも家庭的にも混迷する中に親鸞聖人は誕生されたようです。