宮崎のかくれ念仏

光明寺さんの報恩講に呼ばれて、宮崎の地をはじめて踏んだのですが、光明寺さんのある三股町や都城市あたりは旧薩摩藩の所領だったそうです。

薩摩藩は江戸時代に真宗禁制令を出したことで有名で、薩摩藩の真宗門徒は文字どおり地下に潜って「かくれ念仏」と呼ばれる活動でもって、300年近く信仰を伝えてきたそうです。そのため薩摩藩が解体されてから真宗系の寺院が建ち、光明寺さんも大正末から昭和初期に創建され、現在のご住職で4代目だそうです。

ところが門徒の方はそれ以前から独自の信仰を伝えてきたので、現在でも各地区に持ち回りのお内仏があったり(各家のお内仏とは別に)、「おいろぼし」(虫干し)と呼ばれる夏のお勤め事が行われたり、フルブシ(古節?)と呼ばれる1時間ほど掛けて正信偈の読むという、独特の読み方が伝わっていたそうです。どれも「かくれ念仏」に由来するのだろうと住職さんと坊守さんから教えてもらいました。

「かくれ念仏」では有名な地下の洞窟も、住職が子どもの頃には遊び場になるほど珍しいものではなかったそうですが、現在は事故防止のために柵が作られたり、使われなくなったため崩落してしまったものがほとんどだそうです。

かくれ念仏洞
かくれ念仏洞

民俗学という学問がありますが、残念ながら真宗に関しては未だにそのような研究がほぼ手つかずです。真宗民俗学というか真宗地域学とでもいうような研究が行われたらおもしろいのに、と感じました。

同じ真宗でもとても地域差があるので、余所にお参りすると新鮮で楽しいです。